中外日報 1998年(平成10年)4月25日 中外アート 不定期連載コラム&エッセーより 1/2紙面

「日本画のルーツ」
仏画って日本画なの?
仏画工房 楽詩舎 代表絵師 藤野正観

私が「仏画」を描く人なので次の質問を受けることがよくある。
「仏画って日本画ですか?」っとこんな具合で…。
質問者に腹を立てているわけではないが、「日本画」という言葉の認識の曖昧さに少しばかりガッカリすることがある。
そもそも「日本画」という語は明治時代に西洋から作画に対する考え方や技法・材料が輸入され、それと区別する為に作られた語のようである。
日本古来の技法・様式による絵を「日本画」と呼ぶことにしたわけだ。 岩絵具や水干絵具を膠〔にかわ〕水でといて絹地や紙に描くことが日本の古来からのやり方だった。 日展でも日本画と洋画の区別がしてある。
しかし、材料・技法等複雑多様になっている現代美術においては明確な区別がつけにくくなっているのが現状である。

著者近作:「矢取地蔵縁起絵巻」部分


 さて、私が仕事とするところの「仏画」の制作は、材料や技法は当たり前として、一応お決まりの様式どうりに制作する為、この語の本意にあてはまることになる。
「仏画」は「日本画」ということになる。
しかし、そうとばかりは断言できない。 「仏画」は「唐絵」として輸入され、「仏教表現」を主体に「大和絵」と共に成立してきたわけだから、厳密にいうなら日本独特の技法・様式という点においてこの表現には当てはまらないのかもしれない。
では、「大和絵(倭絵)」なる語はどうして生まれたのかということになるが、九世紀後半に平安貴族の間で、もてはやされた図画が鎌倉中期に宋元画の輸入と共に概念が変わってしまうのを危惧し、宋元画(漢画)に対してそれ以前の伝統に従った世俗画の様式全般を「大和絵」と呼ぶようにしたようだ。
つまり、「大和絵」や「日本画」の語は、その概念が時代に応じて変わって行くのを恐れ、古来の技法や様式を守る為に、あえて区別する為に生まれてきた言葉なのだ。

戦後の美術教育において一方的に、西洋の、特に印象派の美意識に基づいて教えられ、評価されてきた者が、その美意識のまま本来の意味での日本画を描いたり鑑賞することに所詮無理があるように思う。
今や、新日本画として暗黙の了解を得ているのかもしれないが…。
私が本格的に「仏画」を描き出した頃、私の内から西洋の美意識や、技法を削除するのに、大変な苦労をしたものだ。
当然、今も、仏画を勉強しようとする人は、それと戦わねばならないはずだ。
戦後の美術教育を受けた私を含むほとんどの人がこれによって好む好まざるに関わらず、西洋の美意識だけを身につけてしまったように思う。
だから、私は日本古来の様式美を自然に感じ、受け入れられない日本民族に会うとき、やはり残念に思うのである。
最後になったが、「仏画は日本画ですか?」との問いに私はこう答えることにしている。 「仏画は近代日本画のルーツなのですよ。仏画こそが日本画なのです。」と――。

=ふじのしょうかん=