中外日報 1996年(平成8年)5月18日 中外アート版、取材記事より 1/2紙面
理屈抜きで仏心喚起 「仏画をあるべき場所に」 「平安、鎌倉時代に描かれれ、千年の時を越えて今に受 け継がれる古仏画。 この古仏画を再現する時、そこにある 高い技術とともに時が創っ た味わいや風格を表現しなければなりません。 それは安易に汚して古く見せるという ことではありません。 千年を耐えてきた背景には、人々の切なる祈りと熱い信仰が脈々 と受け継がれています。私は、 この崇高な精神性そのものをも表現したいのです。」と話す藤野正観氏は、「仏画工房 楽詩舎」を主宰する仏画家である。
藤野氏は昭和二十五年生ま れ。高校を卒業し、図案家の故・本澤一雄氏の内弟子 となり、修行に励んだ。 独立後は染織図案家として個展開催など、順調に作品発表を行 なってきた。しかし、その心の内には、何か違和感を感 じていた。 昭和五十九年、その藤野氏に転機が紡れた。観音霊場参りの集印軸に観音図を描 いてほしいという依頼があったのである。 「お経も読めぬ者が観音様 ”を描いても構わないのか」―― 困り果てた藤野氏がアトリエ近くの天台宗善峯寺の掃部光暢住職にそう問いかけると、「僧侶には僧侶の修練があように画家にも画家の修練がある。迷うことはありま せん」と諭された。 これで悩 みが吹っ切れ、平安、鎌倉時代の仏画の再現を専門分野と する絵師として活動を開始し た。 昭和六十一年には工房を設立、この十年間で三千点を 超える作品を全国の寺院に納 めてきた。十年という節目 に、これまでのキャリアを集大成するかのような話題作が誕生した。 先頃駒沢学園に納められた「平成大涅槃図」である。 今、振り返ってみると、染織図案家の頃に抱いていた違和感が理解できると、藤野氏はいう。 「イタリア・ルネサンス期の宗教画に深く傾倒した 時期があり、その清涼な世界に憧れていました。絵筆を持って生活したいと染織図案家になったのですが、その清涼なな世界は見えませんでした。 と ころが、仏画を描くようになって自分の作品を見てみると、幼少の頃から憧れ続けた清涼な世界があったのです。 キリスト教と仏教、別の宗教ですが、同じ美しさがありました。 その美しさは教えの尊さだったのです」 藤野氏は仏画制作の難しさを「今の一人では描けない と表現する。 美しいルネサ ス期の宗教画は、工房の中で 何代にもわたって技と心を受け継いだから描けたのであって、天才が一人いても描ける ものではない。仏画も同じく、今に至るまでの千年の歴史の中に、無数の仏画家が居たからこそ現代人が描くことができるのだと言う。 藤野氏にとって全ての先人 が「師匠」である。 藤野氏は、 自らを「古い徒弟制度の最後の内弟子」と呼ぶ。この言葉 には、自ら工房を構えて仏画に専心する伝統芸術の真骨頂が見える。 また、美術館や博物館に行 かなければ仏画を見ることができない現状が悲しいとも。 藤野氏自身がはじめて仏教に触れたのは、幼少の頃に訪れた寺院に飾られていた一枚の仏画だった。 小さな子供には、教えは理解できずとも、その美しさは今も忘れていないと いう。 藤野氏は全ての仏教者に、 「幼い頃、私は宗教画から慈悲や慈愛を感じ、仏教に興味 を持ちました。美しい仏の世界や教えを視覚的に表現した仏画は、理屈抜きに仏心を呼び起こします。仏画がもっと もっと人々の身近な場所、あるべき場所で当たり前のよう に観ることができれば、情報や物ばかりを追い求める社会 も仏の心に導かれて、大きく変わっていけるのではないで しょうか」と呼びかけている。 仏の心が宿った仏画は、紛れもなく仏教の一側面であ る。 |