2021年5月26日 中外日報社 中外日誌より 




義母の一周忌に観音さま

浄土宗檀王法林寺(京都市左京区)の信ヶ原雅文住職は、昨年死去した義母千惠子さん(享年91歳)の供養のために十一面観音菩薩の仏画制作を発願、一周忌に当たる5月21日には完成した観音図を掲げて親族で故人を偲んだ。
 千惠子さんは、同寺が1950年に設立した「だん王保育園」、56年に同じく同寺が設立した日本初の夜間保育園「だん王夜間保育園」で保母長や園長などを務めた。仏教保育活動の拠点となる同園で保育に尽力し、地域に多大な貢献があった。
その人柄について雅文住職は「才色兼備な方で、保育制度の積み上げにも尽力された。行政とかけあうことも度々で、私もよく議論した。葬儀はコロナ禍を考慮し、事前告知を一切せずに行ったが、300人以上の参列があった。私も含め多くの方に慕われ人望が厚かった」とふりかえる。
だん王保育園の園長・理事長を歴任し、千惠子さんと共に保育振興に努めた夫・了文前住職(故人)も気骨ある人物で、その逸話が、名刀「膝丸」の来歴を紹介したNHK・BSプレミアムのテレビ番組「名器の略歴」で紹介されている。占領下の日本にあってGHQは民間にある刀剣の回収命令を出し、真言宗大覚寺派大本山大覚寺が所蔵する寺宝膝丸も対象となった。当時接収窓口の京都府社寺課に勤務する同氏はその文化財的価値から「武器ではない」という趣旨の文章を何度も送り、接収回避を実現させたという。後に保育関係の全国団体の会長などを務めた。
観音図の制作は、仏教クラブを通じて旧知の間柄の仏絵師・藤野正観氏(同市西京区)に依頼。   
雅文住職は「十一の顔を持つと思うほど活躍した義母を思い出す。妻とその姉妹の喜びもひとしお」と話す。仏像の観音像を祀る同寺では、今後毎月21日を「観音さま」の日とし、観音図も掲げて法要を営み結縁を呼び掛けたいと言う。
同寺は鎌倉時代に浄土宗三条派派祖・了恵上人が悟真寺として創建するも、戦国時代に焼失。江戸初頭に琉球で浄土念仏の布教に努めた袋中上人が現寺名で復興し、2世團王上人が町衆信者と交流を深め興隆した。琉球請来の品を所蔵し、主夜神信仰や日本最古とされる招き猫伝説が伝わる。

写真は、十一面観音図と雅文住職(右)と藤野氏