中外日報 1998年(平成10年)3月3日  取材記事より 1/3紙面

徳川五代将軍綱吉の生母
桂昌院の絵像が完成
京都大原野・天台系単立 善峯寺

 
京都市西京区大原野の古刹・天台系単立善峯寺(掃部光暢住職)が寺宝整理の一環として整備を進めてい た桂昌院の絵像がこのほど完成、同寺本坊に納められ た。描いたのは仏画家の藤野正観氏。


桂昌院絵像の完成を喜ぶ掃部副住職奄ニ藤野氏

 桂昌院は徳川幕府五代将軍綱吉の生母。両親が同寺の薬師如来を信仰し、桂昌院も幼少の頃、同寺で暮らした。
将軍の母として政治 に関わるだけでなく、「両親が信仰した薬師如来を、 私も一心に信仰します」と いう意の歌を残すはど、信仰心も厚かった。
この薬師如来は桂昌院の出世如来と呼ばれ、今も広く信仰を集めている。

 同寺は応仁の乱で焼失し復興のめどが立たなかったのだが、桂昌院との深い縁により再建され、 諸堂のほとんどが当時のまま今に受け継がれている。
 桂昌院は多くの古刹を再建した人物で、関係する寺院も多い。桂昌院の愛用し た漆器などの遺品は同寺の みならず縁の諸寺に伝わるのだが、絵像はほとんど残 されていない。

本作は既存の二十歳前後と見られる桂昌院の像を雛形にした。
藤野氏作品の代名詞となった大和絵の技法を駆使し、 「仏教に帰依した信仰心に 満ちたお頗立ち」をテーマ に、桂昌院の最も充実していたであろう四十、五十代 の姿を描いた。
また、同寺 の桂昌院への報恩を示すかのように、京都・西陣で創 られた特別な裂地で表装した。この裂には徳川家の葵の紋と桂昌院の生家である本庄家の繋九目の紋が交互に織り込まれている。掃部光昭副住職は「善峯寺住職の何代にもわたる願いだった絵像が完成し、喜んでいます。寺院の復興に尽くされたその遺徳に、改 めて感謝しております」と語る。
藤野氏は、「善峯寺様を復興された方の絵像を描くことができ、大変名誉なこと。」と話す。